春高バレー制覇までの道のりを追ったドキュメンタリー番組を再放送 ことし11月に急逝した名将を偲び…追悼企画 【テレビ熊本】

12月29日(金)午後4時~テレビ熊本『エースの証~鎮西バレー部 砂のコートからたどり着いた日本一~』を再放送、放送後はTVerで配信 鎮西高校・畑野久雄監督の追悼企画

株式会社テレビ熊本のプレスリリース

春高バレー優勝を飾り畑野監督の胴上げをする選手たち(2018年)

2025年11月24日、鎮西高校バレー部監督の畑野久雄さんが80歳で急逝した。

テレビ熊本では半世紀以上を名門バレー部の指導に費やした名将の功績を称えるとともに、畑野さんを偲び『エースの証~鎮西バレー部 砂のコートからたどり着いた日本一~』(2018年5月初回放送)を追悼番組として再放送する。


【番組概要】

タイトル:エースの証~鎮西バレー部 砂のコートからたどり着いた日本一~

放送日時:2025年12月29日(月)午後4時~テレビ熊本 

◎放送終了後(午後4時55分)より2026年1月31日までTVerで配信

【内容】(年齢・学年等は初回放送時(2018年5月)のもの)

過去5度の日本一を誇る、鎮西高校バレーボール部。2年前の熊本地震で体育館を失い、部員たちは学校の運動場から練習をスタートしました。73歳の名将・畑野監督が目指すのは“エースで打ち勝つチーム”。21年ぶりの日本一を託された、キャプテンでエースの鍬田憲伸(くわだけんしん)さんは高校生活集大成の舞台「春高」で、ついに覚醒します…。さまざまな壁にぶつかりながらも、たくさんの人たちへの「感謝」を胸に春高のコートに立った選手たち。これは、砂場のコートから出発した鎮西バレー部の日本一への挑戦の物語です。

その瞬間、キャプテンでエースの鍬田憲伸さんはコートに膝をつき、これまでのクールな表情とは一転、何かから解き放たれたような表情で客席を見つめ、その目からは涙がこぼれ落ちました。震える右手の人差し指で、彼は「1」を示した。高校生バレーボーラー最大にして最高の舞台、「春高」で鎮西高校が21年ぶりに頂点に立った瞬間でした。彼のそのしぐさからも、3年間が想像以上に苦難の連続だったことが分かります。

2年前、久しぶりに春高でセンターコートに立った鎮西。しかし決勝戦で敗退。21年前に優勝して以来、決勝戦では5連敗となり、まさに「準優勝の鎮西」とさえ呼ばれるようになっていました。鍬田さんは当時1年生。次こそはと新チームとなり動き出した直後、熊本地震が襲いました。鎮西の体育館は壊れ、彼らは練習場所を失ったのです。

2週間後、学校のグラウンドで再出発した鎮西バレー部。鍬田さんの2回目の春高は、まさかの初戦敗退に終わりました。そして3年目のスタート。中学で熊本を日本一に導いたメンバーがそろって鎮西に入学。なかでも突出した能力を持つ水町泰杜(みずまちたいと)さんの入学は、鎮西日本一へ欠かせない戦力となります。

1年生が3人即戦力として加わった鎮西は、21年ぶりに夏インターハイの王者に。そして鍬田さん3年間の集大成の舞台「春高」が幕を開けました。

Wエースを擁し優勝候補筆頭として挑んだ春高、しかし彼らにはさまざまな試練が待ち受けていました…。

熊本地震によってどん底に突き落とされた彼らが、もがき苦しみながらバレーを通して成長していく物語。砂場のコートから、光り輝く春高のセンターコートで日本一までたどり着く軌跡をたどりました。

【出演者】

鎮西高校男子バレーボール部

畑野久雄監督

朝日健太郎さん(鎮西高校バレー部OB、参議院議員)

諸隈直樹さん(鎮西高校バレー部OB)


                      

畑野久雄さん(享年80)

葬儀・通夜には日本代表選手など多くの教え子たちが弔問に訪れ、鎮西バレー部のユニフォームと同じ黄色の花で飾られた祭壇に手を合わせた


【スタッフ】

ナレーション  米岡誠一(PINES)

撮影      渡辺典昭

編集      可児浩二

MA      森仁(U2)

ディレクター  後藤祐太

プロデューサー 古閑康弘

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