FIA IDCのプレスリリース
11月29日(金)~12 月1日(日)、茨城県下妻市の筑波サーキットにて、第3回FIA インターコンチネンタル・ドリフティング・カップが開催されました。晴天の下、延べ4,638人の観客が来場し、ドラマチックな展開となった大会を楽しみました。
17の国と地域から集まった24名のトップドリフターズの頂点に立ったのは、2年連続でロシアのゲオルギィ・チフチャン(ゴーチャ)選手でした。優勝したゴーチャ選手は、12月6日(金)にパリで開催されるFIA年間表彰式(FIA Prize Giving Award)に出席し、各カテゴリーのチャンピオン達と共に表彰されます。
大会では、まず金曜日の練習走行を経て、土曜日に行われた予選で、決勝(バトルトーナメント)に進出する16名が選出されました。予選は、一人ずつ走行するソロラン(単走)方式で、ライン、アングル(角度)スタイル、スピードの項目を3人の審判員が採点します。2回ずつ走行し、自己ベストスコア上位名15名の決勝進出が確定します。その後、今年から新たに設けられたコンソレーション(敗者復活戦)で、予選落ちした上位8人がタンデム(追走)のトーナメント方式で勝敗を競い、勝ち抜いた選手1名が決勝に進出できることとなります。
エン選手が予選で1位に
予選では、FIA世界ツーリングカーカップ(WTCC)の元レギュラードライバー、チャールズ・カキ・エン選手が、2回目の走行で100点満点中93点をマークし、トップに立ちました。予選2位は、地元日本の松井有紀夫選手。2回目の走行ではマツダRX-7でとてもアグレッシブな走りを見せ、90点を獲得しました。昨年のチャンピオン、ロシアのゲオルギィ・チフチャン選手は、鮮やかな黄色の日産シルビアS15を操り、2回目の走行で89点を獲得。3位につけました。
ゴーチャ選手が2度目のFIA IDC優勝者に
“ゴーチャ”ことゲオルギィ・チフチャン選手のトロフィ獲得までの道のりは、まず、チャン・ウェン・チェン選手との対戦から始まりました。二人目の対戦相手は、マレーシアのツンクー・ジャン・レイ選手でしたが、相手チームがマシントラブルに見舞われ、レギュレーションで定められた5分以内に修理が出来なかったため、自動的に次のステージへと駒を進めます。そして準決勝では、前日の予選で負けた松井有紀夫選手と対戦。チャンピオンと地元選手の戦いは、今年一番の接戦となり、結果はドロー(引き分け)。「ワン・モア・タイム」(取り直し)をゴーチャが制し、決勝へと進出しました。
もう一方の準決勝では、フォーミュラ・ドリフト・ジャパンで4度のチャンピオン獲得を遂げたアンドリュー・グレイ選手と日本のエース藤野秀之選手が対戦。僅差でグレイ選手がD1GPタイトル保持者を下し、3位となりました。
決勝では、藤野選手のマシン、日産180SXにトラブルが発生し、大変残念なことにリタイアを余儀なくされてしまいます。こちらに伴い、ゴーチャ選手がFIA IDC史上初の2連覇を達成しました。
優勝者ゲオルギィ・チフチャン選手のコメント:「実は決勝戦ではクラッチがオーバーヒートしてしまいました。準決勝の頃からその予兆はあったのですが、決勝ではとても熱く、タッチフィールもソフトでした。準々決勝、準決勝、決勝の間のインターバルが短かすぎて、タイヤ交換する時間もなく、車には高い負荷をかけ続けていて、クールダウンさせる時間がなかったせいだと思います。運が良かっただけで、もし藤野選手のマシンが壊れなければ、私自身が続けられていたかどうか分からない状況でした。優勝できたのは嬉しいですが、100%満足ではないです。
松井選手とはとてもいいバトルができて楽しめました。私はD1 GPの大ファンなので松井選手のスタイルは知っていました。彼はとても安定したスタイルで、スピードがあって、追走しやすかったです。」
2位 藤野秀之選手のコメント:「とてもいい経験ができました。チャールズ・エン選手との対戦で修理のための持ち時間5分を使った時は、これで最後まで戦えると思ったのですが、決勝でまたデフが壊れてしまいました。ゴーチャ選手と戦ったことがなかったので、今日は本当に一緒に走りたかったです。これが唯一残念だった点です。いつか対戦できるのを楽しみにしています。」
3位 アンドリュー・グレイ選手のコメント:「それほど大きな期待はしていませんでしたが、良い走りをしたいと思っていました。初めてだったので、まずは、この高速でテクニカルなコースをどう攻略するか、そしてあまりよく知らないドライバー達とどう戦うか、絶えずいろいろなことがあって大変でした。藤野選手との対戦では、ギアを4速に入れようとしたのに反応がなく、何が起きているか分かりませんでした。実際はターボガスケットが抜けてしまって、車が全く動かなくなってしまったのでした。かなり負荷をかけていたせいで抜けてしまい、パワーを失ってしまいました。他の選手達は皆とても速いので、かなりパワーを絞り出さないといけないんです。チームが頑張って修理してくれたおかげで3位決定戦に出場できました。もう負けまいと、ブースト圧を下げないようにアクセルを戻すことなく全開で走り切りました。とてもエキサイティングなバトルでした。」