鍛えられたスプリンターの下肢は、本当に動かしにくいのか?

早稲田大学のプレスリリース

鍛えられたスプリンターの下肢は、本当に動かしにくいのか? 身体組成や形状を従来の5倍の分解能で分析できる画像解析手法を開発

詳細は 早稲田大学Webサイト をご覧ください。
 

<発表のポイント> ◆ 鍛えられて筋が肥大すると、一般的には「重く動かしにくくなる」と認識されているが、これを詳細に調べた研究はなく、力学的な動かしにくさに関するアスリートの特性は不明だった。 ◆ MRI画像を用いた独自の解析プロセスを開発し、男性スプリンターと一般成人男性の下肢を分析した結果、身体質量に対する下肢の質量比は、スプリンターで一般成人に比べて有意に大きいにも関わらず、下肢の回転のしにくさ=動かしにくさ に有意差がないことが明らかになった。 ◆ 本研究で開発した解析プロセスを用いることで、アスリート以外でも「太る/痩せる」「加齢」といった要因により、どのように身体の組成や部分的な形状が変化するかの知見が得られ、理想的な「からだつき」に関する理解が深まることが期待される。

 
筑波大学体育系の佐渡 夏紀(さど なつき)助教と日本大学医学部の一瀬 星空(いちのせ ほしぞら)助手および早稲田大学スポーツ科学学術院の川上 泰雄(かわかみ やすお)教授の研究グループは、鍛えられた男性スプリンターの下肢は、一般成人男性と比べて大きく発達しているにも関わらず、両者における股関節まわりの「回転の動かしにくさ」に有意差はなく、そのため筋量の分だけ男性スプリンターは素早い動きが可能となることを明らかにしました。本研究成果は、『Medicine & Science in Sports & Exercise』(論文名:The lower limbs of sprinters have larger relative mass but not larger normalised moment of inertia than controls)にて、2022年10月27日(木)にpublish ahead of printがオンラインで掲載されました。その後、2023年3月に雑誌に掲載される予定です。
 
■これまでの研究で分かっていたこと(科学史的・歴史的な背景など)
身体能力のポテンシャルを知るために、アスリートの筋の大きさが調べられています(図1)。スプリンターの特徴として「股関節屈曲・伸展の筋群の特異的な発達」が認められ、これは、走速度増大に求められる力学的な要請を反映しています。ところで、物体の運動は回転と並進の力とそれぞれの方向への動かしにくさ(慣性)で決まり、基本的に関節の回転を通じて行われる身体運動では、特に回転の動かしにくさが運動のできばえに大きく影響します。全力疾走への力学的要請に合致したスプリンターの特異的な筋形態は要求される「力」への適応というプラスの側面ですが、鍛えられて筋が肥大すると重くなり、これは「動かしにくさ」を増やしてしまうマイナスの側面です。両者のバランスを詳細に調べた研究はなく、アスリートの身体形状のバランスについては不明でした。
 
■今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと
回転の動かしにくさは「質量」×「回転軸–物体間の距離の2乗」であること、スプリンターの筋発達が部位によって異なることから、本研究チームは「鍛えられたスプリンターの下肢は必ずしも動かしにくくない」と仮説を立てました。全力疾走では特に「下肢のスイング」に関わる力学的要請が大きいことから、股関節まわりの下肢の回転のしにくさ(身長と身体質量で正規化された股関節まわりの下肢の慣性モーメント)を主要評価項目として男子スプリンターと一般成人の下肢を比較しました。
下肢の組成を詳細に解析すると、スプリンターと一般成人の質量比の差は密度より体積に依存すること、大腿・下腿・足の全てで筋の適応は起きるが、(骨や脂肪組織を含めて)質量比として表出するのが大腿だけであることがわかりました(図3)。スプリンターの先細りの下肢は、「大腿は大きくなりやすく下腿はなりにくい」という形状変化の身体部分間の差を反映していることが示唆されました。
筋・脂肪・海面骨・皮質骨といった組織はそれぞれ密度が異なります。本研究では質量分布を詳細に検証するために、MRI画像を用いた解析を行いました。図4に示す解析プロセスは本研究グループ独自の手法です。
水分と脂肪だけを明るく写す画像を得る方法(Dixon法)でMRI画像を取得し、画像の不均一補正と輝度の解析によって脂肪組織と非脂肪組織に分類します。骨の分類において、皮質骨はMRIで写すことができず、内部の海綿骨は黄色骨髄の影響でMRIでは脂肪のような写り方をします。そこで、MRI画像内で対象者の身体が写っている領域(図4の「確定マスク」)を定義し、骨をその領域内から探索するプログラムを新たに作成することでこの点を解決しました。以上の手順を踏むことで、2 mmごとに取得される下肢500枚以上の画像全てで、ピクセル毎に組織を判別することが可能となりました。筋体積などを調べた従来の3次元形態解析(例: 10 mm ごと: Miller et al. Med Sci Sports Exerc 2021)と比べて飛躍的に高い空間分解能を実現しました。
 
■研究の波及効果や社会的影響
本研究の成果は、スプリンターが行っているトレーニングにおいて「下肢が大きくなりすぎて動かしにくくなる」ということに特段の注意を払う必要がないことを示唆しています。従来、「身体を鍛えすぎると重く動かしにくくなる」という認識がアスリートの間にありました。しかし本研究の結果は、スプリンターの場合はそうしたデメリットがそれほど大きくないことを定量的に示し、トレーニングの積極的な実施を後押しするひとつのエビデンスとなりました。
さらに、本研究で用いた手法は広い応用可能性があり、力学的な動かしにくさを調べるのはもちろんのこと、各種組織の分布を高い空間分解能で調べることが可能です。詳細な組成解析が進んでいくことで、例えば「トレーニング介入前後」「太る/痩せる」「加齢」等の要因によって、どのように身体組成・形状が変化していくかといった基礎的な知見が積み重ねられていき、身体能力の発揮において望ましい「からだつき」の在り方への理解が深まっていくことが期待されます。
 
■論文情報
雑誌名:Medicine & Science in Sports & Exercise
論文名:The lower limbs of sprinters have larger relative mass but not larger normalised moment of inertia than controls
執筆者名(所属機関名):佐渡 夏紀(筑波大学)、一瀬 星空(日本大学)、川上 泰雄(早稲田大学)
掲載日時(日本時間):2022年10月27日(木)
掲載URL:https://journals.lww.com/acsm-msse/Abstract/9900/The_Lower_Limbs_of_Sprinters_have_Larger_Relative.146.aspx
DOI:10.1249/MSS.0000000000003064

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